ThinkPad X200sのファンを交換

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4年目に突入したThinkpad X200s。ディスプレイの広さ(12インチ、1440×900ドット)と十分なCPUパワー(Core2Duo SL9600 1.86GHz)に加え、ストレージをSSDに換装(Intel SSD325 240GB)したおかげで、パフォーマンスに関してはまったく不満がない。

とはいえ、3年も使っているあちこちガタが来ていて、中でも気になるのは冷却ファンの振動。軸がへたっていて、ファンの回転数が上がると、小さくブルブルと音を出すようになってしまった。そこで、ファンを交換することにした。

Lenovoのサービスセンターにパーツの取り寄せを頼もうとしたところ、冷却ユニットまるごとになってしまい、4千円を超えてしまうとのこと。なのでebayで探して、ファンのみを購入した。

replace a fan in the Thinkpad X200s

ところがここに罠があった。最初に購入した中国のシンセンの業者から届いたのは、もともと内蔵されていたファンとまったく同じ型番なのだが、なぜか消費電力が0.9Wから0.7Wへと減っていた。

当初はあまり気にせず、そのままX200sに載せてしまったが、どうも冷却効率が悪い。Core Tempで確認すると、アイドリング状態で50度付近をウロウロしている。以前なら、45~46度くらいだったのに。つまり、消費電力が減った分、最大回転数も落ちている模様。

これでは夏に向けて不安なので、再びebayにて今度は香港の別の業者から取り寄せてみた。2週間ほどして届いたファンは、同型番で消費電力も確かに0.9W。ただし、今度はなぜか電力ではなく電流での表記(0.18A)となっていて、そして肝心のコネクタが3芯ではなく4芯のものだった。

うーむ、これだから海外通販は怖い。

まあ、コネクタはもともとX200sに載っていた物を移植すればいいので、たいしたことではない。何より、送料込みで1個あたり400~600円と格安なんだから仕方がない。そういうわけで、再びファンを乗せ替えて、今度はきちんとアイドル状態で50度を下回ることを確認して、今回のメンテは完了。

上の写真が、今回のファン達。上が元のファン、左下が0.7Wのファン、右下が0.18A表記で4芯コネクタだったファン(写真は3芯に変更済み)。どれも見た目はほとんど同じで、違いはほんのわずかなんだけど、そのわずかな違いに振り回されてしまった。

【覚え書き】データ・セントリック社会

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物の価値というコンテクストに依存する量を一般化、抽象化することを可能にした

物の価値を決定していたコンテクストは、時と場所と人によって変化していた。相対による物々交換経済は、それ以外の取引方法が不可能だった。それを「貨幣」は、たったひとつのスカラーとして扱うことで、普遍性を獲得した。

抽象化しても、時間だけはすべての人間にとって等しく流れるものだから、それのみをコンテクストとして取り込むことで、利子や割引率などが生まれた。

貨幣自体にベクトルはなくても、各々の商品とその具体的なニーズにはベクトルがある。それを合成することで、ものの市場価値が決まる。

物の価値を抽象化した貨幣は、ものの取引を効率化するためのものだった。抽象化されつつも、実際の物とニーズにはベクトルがあり、市場価値はすべてのベクトル合成によって決まるとするなら、そのベクトルの小さな変化や差異を読み取ることで、利益が生まれる。それが裁定取引。

だが、抽象化された貨幣であっても、時間というコンテクストをはぎ取ることは不可能だったように、国や地域というコンテクストが残った。また、証券や債券という、貨幣に近い価値を持ちながら、貨幣よりもコンテクストを持ったものを生み出すことで、価値を生み出したり操作したりする手法も生まれる。

抽象的なものの操作は人間だからこそ可能なことだが、抽象概念の操作は複雑で理解しにくい。その微妙な理解の差自体もまた、価値の源泉となっている。

それに逆らうかのように、貨幣に強制的にコンテクストを付与することで、価値創造可能な領域を絞って、貨幣操作自体が暴走しないことを目指したのが地域通貨。ただ、実際には価値の操作の領域制限と創造のインセンティブとの設計が、困難であるし、抽象化可能な価値以外の価値を「貨幣」に与えることになるため、その「抽象化不可能な価値」を共有できる範囲内でしか成立できない。

だが、貨幣にもまだコンテクストが残っているということは、さらなる抽象化が可能であると言うことだ。物の価値を徹底的に抽象化していくと、残るのは純粋な量を示すデータでしかなくなる。

物の価値を示す貨幣は、結局あらゆる人と価値を共有するために、バラバラのベクトルというコンテクストを合成したように、「コンテクスト」というベクトルによって量が決定されている。

ならば、コンテクストをすべて把握することができれば、物の価値を性格に把握できる。コンテクストが物の価値を決定するなら、コンテクストそのものが価値であると言える。

コンテクストとは、すなわちデータ。ある物に係わるすべての要因を示すデータ。複雑で多様で大量な要因。従来の経済学や物理学は、複雑な環境要因のパラメータを簡略化することで、公式化したが、数学的手法と機械的計算力の獲得で、環境余韻をざっとデジタル化して扱うことが可能になってきた。

つまり、統計力学的手法がより精度を増したように、経済学的社会学的な分析手法が統計学的により精度を増していく。

データが物の価値を決める。ならば大量に勝つ迅速にデータを集めて処理できれば、それ自体が市場における強さになる。それが今のビジネスで起きている変化だ。

オウンドメディアがオウンドメディアであるために必要なたったひとつのこと

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これまでオウンドメディアのパイロット版コンテンツ制作みたいなことを何件か手伝った経験がある。それを踏まえてひとつ言えるのは、どんな形であれ企業が「メディア」的なものをつくるためには、やはり“中の人”が意思を持ってディレクションすることが必須だということ。

ただし、“中の人”といっても企業のソーシャルメディア活用のように、読者に対して人格が見えるアクティビティをしろというわけではない。もっとシンプルに「編集長」である自覚を持つということだ。

実際に企画や編集や制作や執筆などの実務は、外部リソースをいくらでも使えばいい。だが、それをジャッジするのは自分だという自覚を中の人が持ち、そしてその自覚と意志をスタッフに示さなければ、周りがみんな途方に暮れてしまう。

「これって私は違うと思う」
「これこれこういう理由で、こうしました」
「やっぱり私は違うと思う」
「じゃあ、どうしましょう?」
「うーん」
「やり直しますか?」
「この文章も違うと思うし」
「でも、想定読者の一番の関心ってこれですよね」
「確かにそうだけど」

数年前、とある企業のb2b新規事業立ちあげに伴って、単なるパンフレットではなく、企業内担当者の役に立つものを作りたいと言われて、企画と執筆をやったことがある。上記の会話は、その時のもの。噛み合っているんだか、いないんだかわからないが、それは当事者もそのように感じていた。

「違う」と繰り返すだけで、どこが、なにが、どのように、という具体的なところを一切示さない担当者で、大変に難儀した。ロジカルな説明に対して、印象でNGを出され、なおかつ「やり直す」というジャッジすら下してくれない。

「違う」というものが言葉にしづらい感覚的なものなら、例を探し、比喩をたずね、自分の感覚に近いものを示してくれれば、こちらも全力で汲み取る努力をする。だが、口から出てくるのは「違うと思う」という、曖昧なセリフのみ。

3ヶ月ほど、ラフやらカンプやらを示しては「違うと思う」を繰り返した。最終的には、担当者は移動してしまい、その企画自体がなくなり、事例が多く載ったごく普通のサービスパンフレットを作成するにとどまった。

これは極端な例にしろ、違うと思うなら、どう違うのか伝える努力をし、やり直させるなら自分の意志と責任でリテイクさせる。「違う」とだけ言っていて許されるのは読者だけなのだ。メディアは事業であり、プロジェクトだ。したがってリーダーが最終決定をしなければならない。

そして、オウンドメディアも、メディアなのだ。かっこいい体裁のコンテンツが欲しいだけなら、素直にタイアップ広告をやっていればいい。その方が代理店なりがよしなにしてくれるので、よほど楽だ。だが、あえてオウンドメディアをやるというならば、それまで「よしな」にしてもらっていた部分は、自分たちで決めないといけないのだ。それがオウンドメディアなのだ。

そんなようなことを、数年前にサポートした某社の某事業がひっそり終了したとの報を聞き、改めて思い起こした。

噂のLumix パワーズーム用レンズバリア式キャップ『X-CAP』を入手!

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台湾から小さな荷物が届いた。

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手のひらに乗る程度でとても軽く、なにかガジェットが入っているような感じはしない。

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中から出てきたのは、さらに小さな白い箱。

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パカっと開けると……。

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レンズキャップが登場!

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これは夏前にUSのEngadgetなどで話題になったもので、マイクロフォーサーズ用のレンズ『Lumix G X Vario PZ 14-42mm/F3.5-5.6 APH./POWER O.I.S.』専用の自動開閉レンズバリア式のキャップ。台湾の工作系ブログ「自由派模型工坊」が開発したもので、最近になって市販された。

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GX1とX 14-42mmパワーズームの組み合わせは、マイクロフォーサーズの中ではトップクラスのコンパクトなサイズと、ポータビリティを実現しているんだけど、手動で取り外しが必要なレンズキャップが玉に瑕だった。

それを解決するのがこのレンズキャップ。レンズキャップの裏に小さなボタンがあり、電源OFFで鏡筒が縮んでいるときは、そのボタンが外筒で押されてレンズバリアが閉じ、電源ONでレンズが鏡筒が伸びると、ボタンが開放されレンズバリアも開く。

仕組みはシンプルだけど、小さなアクションでレンズバリアを正確に動かすためには、かなり精密な設計が必要なはず。しばらく使った限りでは、ガタツキやひっかかり、誤動作などはなく、素晴らしい出来。

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専用に作られたものだけあって、電源OFF時のずれもなくピタリと収まっているさまはお見事。欲しい人は開発者から直接買える。決済はPaypalのみで、入金から1週間程度で届いた。価格は本体24ドル、送料10ドル、合計34ドル。ただ日本への送料は5ドルで済んだとのことで、あとから5ドル返金があったので好感度高しw

デジカメ選びで考え抜いたあげくに買ったのはLUMIX GX1

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昨年から動作の怪しかったデジカメが、とうとう動かなくなった。丸3年間、カバンに入れっぱなしで、ほぼ毎日持ち歩き、撮影枚数も数万ショットを超えたので、十分に元は取った。

常時携帯用のコンデジは、仕事でもプライベートでも必需品なので、すぐにでも代替機は購入する必要がある。以前にも一通り悩んだだが、あれから更に新機種も登場したことで、さらに悩みは深くなった。

結果だけ先に書くと、結局の所買ったのはパナソニック GX1のXレンズキット

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11月の発売時点では眼中になかった機種だ。マイクロフォーサーズについては同じくパナソニックGF3とオリンパスE-PL3を検討していたが、どこまで言ってもレンズ交換タイプは全体の大きさが、カバンに入れっぱなしにするには厳しいという結論だった。

その気持ちが大きく変わったのが、GX1のキットレンズ LUMIX G X VARIO PZ 14-42mm/F3.5-5.6 ASPH./POWER O.I.S.の存在。

これを装着することで、標準ズーム付きのミラーレスカメラがコンデジ並みとまではいわないまでも、カバンに無理なく入れられる程度の大きさとなる。これが決め手だった。

ちなみに、購入までに検討してそれなりに有力な候補になった機種はキヤノンS100、キヤノンG12、リコーCX6、リコーGXR P10、富士フイルムX10、ニコン J1、パナソニックGF3、オリンパスE-PL3といった辺り。

そして今回、デジカメを買うにあたっての観点になったのは「3つのバランス」だ。ひとつは、大きさと画質のバランス。ふたつめが価格と機能のバランス。最後が操作性とオートのバランスだ。

ひとつ目の大きさと画質のバランス。これまではニコン D300とリコー CX1という、デジイチとコンデジという2台体制で運用してきた。

D300はニコンのDXフォーマットのフラッグシップで、今となってはだいぶ古いが十分な画質を持っている。しかし、レンズも含めるとそれなりに重量があり、気軽に持ち出す訳にはいかず、本気の仕事の時に限られてしまう。

CX1は、リコーがGRデジタルのリリース後に送り出した、スタンダードなコンデジだが、標準的なスペックには似合わない操作性の良さを持つ機種。ただ、絵はあくまでもコンデジ。

この2つを使っていくうちに、あまりに両極端な2つの中間が欲しくなって来てしまった。D300のように、高い画質をもちレンズによって機動性や表現を替えられ、CX1のように気軽にどこにもでも持って行ける。そこにGX1とXレンズの組み合わせがピタリとハマったのだ。

2つ目の価格と機能のバランス。マイクロフォーサーズは、パナソニックGF3、オリンパスE-PL3を検討していたが、どちらもタッチパネル中心の操作性で、それが納得いかなかった。この上位機種となるとオリンパス E-P3があるが、価格がポンと跳ね上がる。

GX1も同様だったが、こちらは年明け以降に急に値段が下がりだした。2月に入ると更に下がり、3週目に入る頃には5万7千円を切るまでになった。これはちょっと安すぎるくらいだが、この機能と操作性にXレンズのコンパクトさを鑑みたら“買い”以外の何物でもない。

3つめの操作性とオートのバランス。D300は、Pモードはあるにしろ、基本的に絞りやシャッタースピード、ホワイトバランス、ISO感度などを自分でマニュアル操作するカメラだ。めんどうだけど、そうやって設定を変えたらそれに応じて、きちんと欲しい画を吐き出してくれる。

一方、CX1はオートのみ。絞りもシャッタースピードも変えられない。ISO感度や露出は変えられるが、それで画が劇的に変わるわけじゃない。でも、だいたいの場合にそれなりの画を出してくれるので楽ちんだ。

そしてGX1は、この2つのメリットを併せ持っている。完全にマニュアルで、すべてを自分で操作できる一方で、インテリジェントオートにするとシャッターを押す以外の操作が不要になる。仕事で設定を追い込んで撮りたいときと、何も考えずにスナップを撮りたいときの両方に対応できる。

というわけで、個人的なニーズにGX1は奇蹟のごとく当てはまったため、最終的には迷うことなく購入に至った。

最後に難点と言えば、すでに沢山のラインナップが揃っているマイクロフォーサーズのレンズが、次々と欲しくなってしまうこと。やっかいなことに、パナソニックでは今ちょうどGX1を対象にしたキャッシュバックキャンペーンを行っている。

これの締切が3月25日なので、それまでにLUMIX G X VARIO PX 45-175mm/F4.0-5.6 ASPH./POWER O.I.S.かLEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4 ASPH.のどちらを買わなければ……。



問題だらけと言われる書籍の流通システムにメリットはないのか?

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出版がらみのトラブル話がFacebookで話題になっていた(詳細その1その2)。シェアされていて、トラブルそのものには同情するし、取次システム(含む再販制)に対する批判も同意するところは多いけど、それに関してコメントしている人たちが「物流」を舐めすぎなのが気になった。

ウェブ系の人に多いけど、そういった物流に関することがすっぽりと頭から抜け落ちている人がしばしばいる。日本全国に大量の書籍という商品を流通させる仕組みは、そもそもとてつもなく大変なこと。数百冊の本の在庫は、かなり巨大なシロモノなのだ。書籍の物流倉庫を一度見ると、書籍がどれだけ物理的に大きくてスペースを取る商品だというのが、身にしみてわかる。

また、複数の会社と倉庫を経由することが非効率に見えるけど、それがバッファとして機能している面もあるので、一概に非効率とは言い切れない。倉庫と一口に言っても、機能ごとに役割が分化しており、単純な保管目的の倉庫と流通を前提にした物流倉庫では、建物としての構造も立地も異なってくる。

また、上述のリンク先で出版社がamazonに直接納品するというアイデアが出ているが、実のところそれはamazonにとってもありがた迷惑だ。大量の物流をさばかなければならないところに、想定外の割り込みが発生すれば、そのオーバーヘッドによって全体の効率が落ちる。amazonの倉庫は、徹底的に効率化を進めていることで知られており、そういった想定外のアクションをを嫌うはずだ。取次なりの限られたところから、一定のペースで納品されることを想定して、倉庫機能をくみたてているはずだから、amazonの方が直接納品を嫌がるだろう。

そして何よりも、書籍流通は「流通に乗せると半ば自動的に全国の書店に並ぶ」ところにある。この仕組みの効果は大きい。なぜなら書籍は「書店に並ぶ事によるプロモーション効果と信頼の担保」があるからだ。コンテンツが書籍というパッケージになったうえで、書店に並ぶ。このこと自体に一定の宣伝効果があり、そして内容への信頼度を与えている。さらに、トラブルの当事者がamazonで売れないことを大きな問題として扱っているように、ウェブ書店においても、前述の効果は存在するのだ。

そういったメリットをすべて無視して「旧来の版元、取次、書店のシステムってダメダメ」っていう人が、電書ブームの中でたまに見かけるけど、それはいくらなんでも浅すぎる。そんな人がいること自体、日本の書籍流通システムが、空気や水のように当たり前に感じられるほど完成度が高いことの裏返しでもあるわけど。

自炊ブームの中で、紙という物質に閉じ込められたコンテンツの不自由さばかりが喧伝されがちだけど、物体として日本全国津々浦々にある書店の店頭に並ぶことのプロモーション効果は無視できるものじゃない。

もちろん、そのシステムが疲弊しているところもある。書店の、注文通りに書籍が来ない、大手の書店ばかり優遇される、毎日大量の新刊が来すぎる、といった苦しい声はあちこちで聞く。そして版元からは、刷り部数を自前で決められない、指定の書店や地域に配本してくれない、といった苦情もある。

さらには、再販制度+取次から生まれた版元に対する金融機能によって、中小の版元が売れる見込みもないまま毎月一定数の新刊を第続けなければならなくなっていることなどは、典型的な構造問題だ。そして、それがある故に再販制度が廃止できず、問題がループしてままデッドロックになっている。

今回のトラブルも、そういった巨大な流通構造の中にできた、小さな裂け目にたまたまハマってしまったようなものだろう。それをもってして、現状の書籍流通を批判するのはたやすいけれど、その裂け目を埋めれば問題は解決するというものではない。裂け目は問題のごく一部にすぎず、そして問題は大きすぎて手に負えない。

だから、もしかしたら問題はもう解決することはできず、何かしらのオルタナティブを用意しつつ、このまま問題が問題にならなる程度に書籍流通システム自体が小さくなるまで、なんとか延命するしかないのかもしれない。でも、その前にパニックが起きて、崩壊しそうな気もするけど。

It’s real view on Tokyo 2012

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まだ松も取れない晴れた平日に、仕事で出かけた浅草。吾妻橋の交差点に差し掛かったおり、ふと隅田川方向を見た時の景色がおかしかった。

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アサヒビール本社(いわゆるウンコビル)と墨田区役所に挟まれた狭い空間の向こうに、スカイツリーが見える。フィリップスタルクのあのオブジェだけでもだいぶおかしな感じなのに、スカイツリーまで加わると、ラスベガス並みに訳のわからない景色になっているw

墨田区近辺は、あちこちでこんな風にランドスケープがおかしなことになってるんだろうな。

考えれば考えるほどドツボにハマるデジカメ選び

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常時携帯しているリコーのCX1がだいぶくたびれてきた。レンズにガッツリ傷がついて、あちこちネジが外れている状態。そろそろ代替を考えた方が良さそうだ。

デジカメが必要と行っても、メモ程度ならスマホで十分だし、インタビューやブツ撮りならデジイチの出番。でもイベントや発表会の取材の場合、コンデジくらいの画質とズームと軽さと扱いやすさがちょうどいい。

なので、昔から常にカバンの中にはコンデジが一台入っている。CX1の前には、同じリコーのGR Digital IIIがカバンに入っていたけど、飲み屋で泥酔した際に紛失した。今のCX1が動かなくなる前に次の準備をしないといけないんだけど。どうしたものか。

迷っているのは、ミラーレスの下位機種がだいぶ小さくなって、価格もこなれてきているから。コンデジとデジイチ(含むミラーレス)の違いはいくつかあるけど、ひとつにはバッテリー容量から来る半導体周りのパフォーマンスの差による操作性。要はサクサク使えるかどうか。

デジカメのコンポーネントのうち、消費電力が大きいのは、背面の液晶ディスプレイ、撮像素子の待機電流、フラッシュメモリの読み書き、そしてプロセッサの順番。このうち、最初の3つは、コンデジという商品性から、標準的なコンポーネントを使用せざる得ないため、消費電力を大きく減らすことができない。

となると削るのは半導体を含む処理系全体での消費電力。なので、デジイチとコンデジでは、撮影時の操作性に大きな違いがある。半導体自体の高性能化と低消費電力化で、コンデジもひと昔前よりはだいぶ操作性は向上したけど、それでもデジイチ並みのレスポンスは望むべくもない。

そこに出てきたミラーレス。デジイチとコンデジの間を埋めるものとして、コンデジよりはバッテリーなどに余裕があるので、デジイチほどじゃない処理系もそれなりのパフォーマンスだ。機種によっては、残念なものもあるみたいだけど、その辺はやはりコンパクトさとトレードオフ。

ただ、素直にミラーレスに踏み切るのも抵抗がある。すでにデジイチでレンズをいろいろ揃えているので、これ以上のレンズ沼は避けたい。それにミラーレス機は、標準ズームだと結構、かさがある。カバンに入れっぱなしにするには、厚みで5~6センチ前後が限度だし、重量もトータルで500グラムを切っていて欲しい。

いっそのことだいぶ値が落ちたCX1の直系のCX5か、レンズが明るいニコン P300あたりでとっとと手を打つのが賢いのかもしれない。だが、店頭で、富士のX10や、ニコンのJ1を触ってみると、かなり使いやすく、心が揺れる。さて、どうしたものか。

デスクトップOSとクラウドの統合で何が起きるのか

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先日、MSで聞いた話では、SkyDriveが震災直後に急激に利用が伸び、アクセス頻度が数倍に膨れあがったそうだ。BCP目的での企業のクラウド移行はあちこちで話題になってるけど、個人のクラウド利用も3月を機に大きく増えているようだ。

で、個人によるクラウド利用について、震災とは別の補助線となるがスマートフォンだ。AndroidでGmailを使えば必然的にクラウドとなるし、iPhoneもiCloudで母艦レスのクラウドベースへと踏み切った。ただ、スマートフォンだと現状ではストレージ容量も限られるるので、必然的にクラウド側に預けるデータ量も限定的だ。もちろん写真をガンガン撮るなら別だけど、それでも数GBのオーダーに止まる。

となると次の個人のクラウド利用がガツンと伸びる波は、Windows 8なのかもしれない。先日のDev Previewでも、インストール時にWindlows Liveアカウントが必須になっていたように、Windows 8では、デスクトップとクラウドがついに統合される。すでにOffice 2010のSP1ではファイルの保存先にクラウドを指定できるようになっていて、特にOnenoteだとローカルとSkyDrive上のファイルがシームレスに扱われるようになっている。

これがWindows上の様々なファイルやデータに拡張されるのは想像に難くない。現にSkydriveはすでに無料のパーソナルクラウド向けでは最大容量に近い25GBを提供している。これだけの大容量を提供するのには、ひとつにはプロモーション効果を狙っているのだろうが、もうひとつはWindows 8でのデスクトップとクラウドの統合を見据えてのものとも言える。

つまりマイクロソフトからの個人向けサービス事業者にむけて「2012年のクラウドサービスは最低限このくらい必要だぜ」とのメッセージともとれる。そしてこのメッセージのもうひとりの受け手がネットワーク事業者だ。最大のシェアを持つクライアントOSの次期バージョンでは、このくらいのトラフィックがエンドとデータセンター間で随時生じるかもしれない。その準備をして欲しい、とのマイクロソフトからのビジョンの提示であり、また警告でもある。

すでにケータイ事業者がスマートフォンの普及によって、そのトラフィックに汲々としている。その一方、固定系の事業者はトラフィックに悩まされつつも、一時期のp2pブームが下火になったことで、ひと山を越した。しかし、ハイパージャイアントの台頭と、そこへのトラフィックをどう裁き、またハイパージャイアントといかに向き合うかという、新たな火種も抱えている。

そこにWindows 8の登場によって、エンドから発生する更なる膨大なトラフィック。そしてエンドユーザーから見ると、デスクトップのパフォーマンスが、クラウドとかデータセンターとかネットワークのパフォーマンスにリンクすることになる。たんに「ウェブが遅せー」では済まなく、ファイルのオープン・クローズや、差分更新のレスポンスと言った、ごく普通にローカルアプリケーションの動作に、ネットワークのパフォーマンスが影響を与える。そして、ユーザーは、よりクラウドとの接続で低レイテンシーを求めてISPを選択するようになるかもしれない。

そうなるとISPは、IXや大手ISPとのピア接続だけではなく、いかにしてハイパージャイアントやデータセンターとのピアリングを行うかがより重要になる。そして、それを行えるだけのリソースやバジェットがないISPは一段と淘汰が進み、地方ISPのOCNリセラー化が更に進むというのはまた別の話し。

閑話休題。ハイパージャイアントは、そのコンテンツパワーを背景にして、莫大なトラフィックを稼ぎ、そして利益も得ている。一方のISPというかアクセス網に近い側のネットワーク事業者は、そのハイパージャイアントが流す膨大なコンテンツと同じトラフィックをさばきながら、その売上げはより少ない。この非対称性が問題となってすでに久しいが、そこに具体的な解決策はまだ見出されていない。

このネットの中立性ゆえに生じるパラドックスは、新たなデスクトップ環境の出現によって、もしかしたら次の段階へと移行するのかもしれない。ネットの中立性は、誰もがアクセスできるコンテンツ、誰もが利用できるサービスという、インターネットのレゾンデートルの基盤でもある。

しかし、パーソナルクラウドによってユーザーがアクセスするのは、あくまでも自分のデータだ。自分で作成し、自分で保存し、自分で読み込むデータだ。場合によってはユーザーは、自分のハードディスクとクラウド上をまったく区別なく使っているかもしれない。そんな状況において、ネットの中立性はどこまで守られるべきなのだろうか。

現時点では、ユーザーの生み出すトラフィックが、少なくともハイパージャイアント側に利益を招き入れる源泉となっている。しかし、より進んだクラウド利用において、そのトラフィックが利益を生み出し続けられるのだろうか。現時点では、マイクロソフトはOSは有償で、クラウドは無償で提供している。すなわち、ユーザーのクラウド利用によるトラフィックが生み出す利益は、すべてマイクロソフトにしか入らない構造だ。

そこでは、アクセス網とサービス事業者というインターネットの中のプレイヤー同士の争いではなく、違うレイヤーからの収奪となる可能性がある。そうなったときアクセス網のプレイヤーが取り得る選択肢は一体何なのだろうか? 従量課金へと移行し、ユーザーのトラフィックを絞るのか。それともユーザー以外から対価を得るのか。どちらも苦しそうな選択肢に思えるが、それ以外の方法はないのだろうか。

MicrosoftとGoogleの似たところと違うところ

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今年6月にGoogle+がスタートした。そして、8月には世界初のWindows Phone 7.5(mango)搭載端末となったIS12Tが発売された。運良く、この両者をベータの段階から触ることができた。同時期のこの2つを触ってみたことで、いろいろと考えた。

それというのも、アプローチこそ違えどこの2つが提示するUser Experienceがとても似ているように思えるからだ。でも、当然のごとく両者のビジネスモデルは違うわけで、それ故に同じ体験を示しながらもその裏にある価値観がまったく異なっている。

WP7の特徴であるPeopleハブ。これは「アドレス帳」を軸にして、複数のコミュニケーションツールやSNSをすべて束ねてしまうもの。電話、メール、メッセンジャー、SNS、ブログなどなど、複数のツールとサービスに分散したアカウント情報をユーザーの手元の端末の中で名寄せする。

これと同じアプローチはすでに一部のスマートフォンで実装されている。KDDIのjibeやサムソンのSocial hub、そしてAndroidの電話帳。WP7のPeopleハブは、それらの完成形。通話や会話の履歴をサービスを越えて集約し、サービスを意識せずにコミュニケーションできる。

WP7のPeopleハブは、インフラを土管化したサービスの上を端末によってさらにオーバーレイし、ソーシャルサービスを土管化する。人とどのサービスでつながっているかを意識せずに、コミュニケーションすることにだけ集中できる。その意味でWP7は相当ラディカルなOSだ。

そして、G+アプリをインストールしたAndroid端末も、WP7に似ている。そしてG+もそれに近づきずつある。ローカルの自分の画像とネット上のコンタクトの画像をシームレスに見られたり、コンタクトのアクティビティをガンガンとプッシュしてくるところなどはそっくりだ。

さらに、Googleプロフィール上での紐づけ、Gmailの連絡先のマージ機能、そして過激なまでの実名推奨と紐付けてみると、GはWP7が端末上でやろうとしていることを、G+上で行おうとしているのかもしれない。OSという形で端末と結びついた形のWP7と、サービスとアプリで展開するG+。

近いUser Exprerienceを目指しながら、そのコア・コンピタンスと提供するプロダクトは、大きく異なっている。だが、現実として、エンドユーザーが手にするのは、スマートフォンという形のデバイスであり、ユーザーからはMSとGが同列の地平で評価されることになる。そこで、ユーザーは両者の違いをどのように感じるか。その答えはこれからだ。

個人的なイメージだが、GとMSってネガとポジの関係だと思っている。MSはその独占的地位から誤解されがちだけど、それ故に逆に支配者として振る舞うことや、そのように見られることを慎重に避けようとしている。もちろん、これまでさんざん悩まされてきたAntitrust law対策もあるけど、そもそもの哲学としてリベラリズムが貫徹している。

そのMSの立ち位置と照らし合わせると、Gはとても全体主義的に見える。批判的な意図ではなく「あらゆるのデータに人々がアクセスできるようにする」という、GのPrincipal自体が、原理的に全体主義的な思想を帯びたものだし、またそれを実現するためにも必要なアプローチも、必然的にそれを要求してしまうからだ。

かといって、これからGが支配的に振る舞うわけではない。GのPrincpalはデータの集約と整理であって、その独占ではないから。ただ、Gのサービスを利用する上で、ユーザー側が無償の対価として差し出す何か、または引き受けなければならない何か、が今後増えるのかもしれない。