オウンドメディアがオウンドメディアであるために必要なたったひとつのこと

これまでオウンドメディアのパイロット版コンテンツ制作みたいなことを何件か手伝った経験がある。それを踏まえてひとつ言えるのは、どんな形であれ企業が「メディア」的なものをつくるためには、やはり“中の人”が意思を持ってディレクションすることが必須だということ。

ただし、“中の人”といっても企業のソーシャルメディア活用のように、読者に対して人格が見えるアクティビティをしろというわけではない。もっとシンプルに「編集長」である自覚を持つということだ。

実際に企画や編集や制作や執筆などの実務は、外部リソースをいくらでも使えばいい。だが、それをジャッジするのは自分だという自覚を中の人が持ち、そしてその自覚と意志をスタッフに示さなければ、周りがみんな途方に暮れてしまう。

「これって私は違うと思う」
「これこれこういう理由で、こうしました」
「やっぱり私は違うと思う」
「じゃあ、どうしましょう?」
「うーん」
「やり直しますか?」
「この文章も違うと思うし」
「でも、想定読者の一番の関心ってこれですよね」
「確かにそうだけど」

数年前、とある企業のb2b新規事業立ちあげに伴って、単なるパンフレットではなく、企業内担当者の役に立つものを作りたいと言われて、企画と執筆をやったことがある。上記の会話は、その時のもの。噛み合っているんだか、いないんだかわからないが、それは当事者もそのように感じていた。

「違う」と繰り返すだけで、どこが、なにが、どのように、という具体的なところを一切示さない担当者で、大変に難儀した。ロジカルな説明に対して、印象でNGを出され、なおかつ「やり直す」というジャッジすら下してくれない。

「違う」というものが言葉にしづらい感覚的なものなら、例を探し、比喩をたずね、自分の感覚に近いものを示してくれれば、こちらも全力で汲み取る努力をする。だが、口から出てくるのは「違うと思う」という、曖昧なセリフのみ。

3ヶ月ほど、ラフやらカンプやらを示しては「違うと思う」を繰り返した。最終的には、担当者は移動してしまい、その企画自体がなくなり、事例が多く載ったごく普通のサービスパンフレットを作成するにとどまった。

これは極端な例にしろ、違うと思うなら、どう違うのか伝える努力をし、やり直させるなら自分の意志と責任でリテイクさせる。「違う」とだけ言っていて許されるのは読者だけなのだ。メディアは事業であり、プロジェクトだ。したがってリーダーが最終決定をしなければならない。

そして、オウンドメディアも、メディアなのだ。かっこいい体裁のコンテンツが欲しいだけなら、素直にタイアップ広告をやっていればいい。その方が代理店なりがよしなにしてくれるので、よほど楽だ。だが、あえてオウンドメディアをやるというならば、それまで「よしな」にしてもらっていた部分は、自分たちで決めないといけないのだ。それがオウンドメディアなのだ。

そんなようなことを、数年前にサポートした某社の某事業がひっそり終了したとの報を聞き、改めて思い起こした。

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