ロングテール見直し論が一部で出始めた。その中でもFPNの徳力さんによる「Amazonのロングテールの尻尾は思ったより長くないらしい」 (ネットコミュニケーションの視点)を読んで気になった点を1つ取り上げておこう。
あらかじめ記しておくと、ロングテール見直し自体には賛成だ。一時期は、かつてのニューエコノミーのように、ロングテール万能論になりかけていた。そのことを差し引いたとしても、ロングテール効果は実感としてはちょっと大げさに感じるからだ。
オンラインショップがいくらコストを削減できるからといって、それは実店舗と比べると有利ということであって、決してゼロにはならない。しかし、オンラインショップが持つ潜在顧客数の多さと、それをすくい上げるのに必要なコストの低さは、実店舗ではとうてい得られないものだ。これこそがロングテールだ。
そして、今まさに議論となっているのは、このロングテールのしっぽの長さがいかほどのものかということである。
では、この議論において私が気になる点は、先に挙げた記事において日米のアマゾンを切り分けずに議論してしまっているところだ。アマゾンは、まさしくオンラインショップの代表的な店舗だ。だがアマゾンは、ユーザーに対してただの小売り業を越える機能を提供している。その機能とは「複雑で膨大な書籍流通をデータベースと検索技術で覆い隠す」ことだ。そしてこの技術がロングテールを生み出していると思われていた。
しかし、日本においては若干事情が異なる。「複雑で膨大な書籍流通」を「覆い隠」しているのは検索技術だけでなく、トーハンや日販といった書籍取次の役割が大きい。つまりアマゾンが肩代わりしているのは、半分だけなのだ。外資というある意味特権を利用して、取り次ぎとの取引を有利に進めている面はあるが、取り次ぎにできないことは基本的にアマゾンにもできない(実際のところ、最近は版元との直取引を始めたり、オンデマンド出版を始めたり、とただの書店を越えた動きは増えつつあるので、一概には言えなくなってきたが、今のところは無視できるレベルだ)。
つまりアマゾンは通常の書店と同様に消費者と取次の間に挟まる一枚のレイヤーに過ぎない。
アマゾンのメリットである「ウェブ通販」「データベース」「検索」「その場で注文」だけど、アメリカの場合はこれだけでいい。基本的に書店は出版社と直取引だし、新刊のデータもアマゾンくらいの大規模書店になると、版元から直接に集まるようになっている。日本においても同様のことは、一部の出版社との間で個別に契約を結んで行っている。ただし、規模の大きな版元に限られている。だが、大部分の中小規模の版元は、従来通り取次を経由するしかない。したがって、取次に口座を持っていない出版社は、アマゾンに商品を卸すことはできないし、取次に在庫のない書籍や取り扱っていない書籍は書店は売ることが難しい。
さて、勘のいい人はここで気がつくだろう。書店という業態におけるロングテール、つまりシッポは実は2本あるということに。シッポの1本は版元側のインターフェイスで、もう1本は消費者側だ。
2000年からこっち、出版業界の斜陽が叫ばれて久しく、業界全体の売り上げは減少傾向にあり、同時に書店の数も減り続けている。しかし、出版社の数は逆に増え続けているのだ。このご時世になぜという疑問はつきないが、まあそういう業界なのだ。
で、もう少し出版業界の話を続ける。出版社が本を作ると、基本的にすべての本は一度取り次ぎという問屋を経由してから書店に並べられる。この取り次ぎを中心として日本全国津々浦々に及ぶ配本システムによって、日本の出版業界は支えられているのだ。
しかも、再販制度というもののおかげで、さらに問題は複雑になっているが、それはほかにいろいろと本やらブログがあるのでそちらに譲る。
ここで押さえておくべきは、ロングテールのシッポの1本は未だに伸びているということだ。すなわち、複雑さが増しているということ。これではますますリアル書店にとってはコストが増すばかり。
ふう。ここまで書いておいてなんだが、思ったより日本の出版業界におけるロングテールの分析は大事だ。その「大事」ゆえに、日本でしかもアマゾンに関してロングテールというのは簡単ではないぞ、ということを書きたかったのだが、問題はかなり複雑で、出版業界の構造問題を抜かしては語れないということを再確認しただけになってしまった。
というわけで、この問題はもう少し考えてから、またまとめなおしたい。