『萌えてはいけない』メモ
11月23日にデジタルハリウッド大学院の秋葉原キャンパスで行われたトークイベント「萌えてはいけない」に行ってきた。イベントの発表当初は出演者に名前のなかったいしかわじゅんも、最終的に出演が決定。これでマンガ夜話のレギュラーメンバーが全員揃ったことになる。
ステージ左から、笹峯あい、大月隆寛、岡田斗司夫、夏目房之介、いしかわじゅんという並び。そしてシークレットゲストが、なんと冨野由悠季。司会からこの名前が告げられた瞬間、会場からどよめきのような歓声が上がった。富野監督は、いしかわじゅんの隣に座ったが、この並びには終始不安が隠せなかった(笑)。
実際は、いしかわじゅんと富野由悠季は、控え室で意気投合したらしく、なかなか和やかな感じ。途中、誤解から富野監督がいしかわじゅんを噛みつかんばかりに睨んだところがあったけど、あれはパフォーマンスだしね。それよりも、イベントの運営スタッフの不手際が目立った。スタッフブログにもちょろっとあるが、連絡ミス、進行ミス、確認ミス、などなどあって、大月隆寛が「怒るぞ」とすごむ場面も。
以下は取った手書きのメモを適当に書き起こす。主に前半分のみだし、そのうちでもさらに書き取れた部分、興味を持った部分だけだから、ここにあるのは全体のごく一部。
富野監督が吼えたのは後半だけど、そこでの議論としては既出のものだし、クリエイティビティとビジネスというありがちな二項対立の図式になってしまったので割愛。
あ、手書きメモがベースなので、文章文意はかなり不正確。そのまま受け取らないように。それと(カッコ)でくくった部分は、出演者の発言を受けてのワタシ自信の感想とか意見。
------以下メモ------
ケータイによる投票
「うる星やつらは萌えか?」
富野:「うる星やつら」のエポックメイキング性
アニメの方向性を変えた作品。「曲げられた」という感覚で、ある種の的と認識。
アニメのターニングポイントではあった。
岡田:オタク文化の受容のされ方が、変わった。好きで真似るときに、必ずしもそっくりに描かない。下手で似せられないのではなく、自分が好きであれば書いたものが似てなくても良い。あえて自分の絵で描くことに意味を見いだす。
いし:自己表現としての、ファンイラスト。
岡田:70年代までは、アニメは大人が子供に見せるために作っていた。それ以降は自分たちがやりたいようにやる作品が許容され始めた。
富野:「うる星」のような作品が女性の描き手から出てきたことがショック。
笹峯:不満げ。
いし:「高橋留美子」という枠でみると、アニメ業界とマンガ業界では評価が異なる。
岡田:マンガ業界では、ヒットを生み出したビッグネームではあり、女性で少年マンガ誌で描いたという以外は大きな評価点がない。
岡田:アニメ業界では、「うる星やつら」以降、アニメ単体でビジネスが成り立つというモデルになった。キャラクタ商品、声優、劇場映画、音楽、ビデオ、などなど。その点で、「うる星やつら」は大きく評価されている。あと、押井守を初めとする、新しい世代のスタッフがここから生まれた。
夏目:アニメは原作のマンガが元にあって、それをより売るためのもの。70年以後は、アニメ独自の企画も登場し、マンガとアニメが等価に。
岡田:作り手と受け手の関係性が崩れた。アニメの本数が増え、従来のようにスタジオの中だけで制作できなくなり、外部のスタジオ、外部の人材を受け入れていった結果、管理が緩くなり、スタッフの暴走が可能になった。
投票の結果発表。
結果はYesが40%、Noが60%で、萌え出はないという意見が過半数。
大月:意外だけどわかる。
岡田:いまの萌えの文脈からは外れるけど、あの時代、あのときの受け手にとっては「萌え」だったことは間違いない。
いし:「うる星やつら」は萌えの「鳥獣戯画」
大月:萌えは「土人の文化」だから(笑)。理解できない。
岡田:勝手に何かやっていて、勝手に盛り上がっている。俺たちはそれを外から入っていって、観察している。
岡田:萌えをわかるには「萌えエンジン」が必要。言い換えると「萌えチンチン」。
自分には萌えは理解できないけど「仮性萌えチンチン」があるので、かろうじて引っかかる。
大月:NHKでは萌えを取り上げられなかった。出演者側のキャパの問題。準備が大変で取りかかれなかった。
夏目:萌えは、先にジャンルがあった。ギャルげーもエロゲーも美少女マンガも、すでにジャンルとして確立していた。あとから「萌え」という表現ですべてくくられるようになった。
不思議なのは、みんな自分が萌える作品やジャンルを取り上げるとき、自虐的になる。
(「萌え」が前近代的な評価基準だから。西洋的な絶対的な上下の評価軸ではなく、中身を空洞化させた「オレ」の評価、つまり一般化や共有がしにくいことが前提の評価軸だからか?)
岡田:そこには日本人の特性が関わっている。
「萌え」とは新しい女性に対する評価基準。昔のマンガ雑誌は、表紙が長島や王や大鵬だった。いつからから、グラビアが着くようになった。
いし:不思議だったけど、編集者に聞くと売上げが1割2割上がるからだという。それは仕方がない。
岡田:いつからか、マンガは「カワイイ女の子」を見るための媒体になった。2次元or3次元、リアルor架空は関係なく、カワイイ女の子を見るためのもの。
(セクシャリティがつきまとう。岡田が以前から行ってた「萌え=エロ」説か)
笹峯:萌えを送り手側やお金を出す側は、萌えを意識している?
いし:当然してる。
岡田:今の萌えの議論が、かってのSFの議論とまったく重なる。
SFというジャンルはマイナーであり続けるけど、「拡散と浸透」という方向性で、いろんなメディアに入っていった。今のマンガの多くが、昔ならばSFと言われた。書く側も、読む側もSFとは思っていないけど。萌えも、やがて同じことになる。そういう意味では、萌えは世界にも広がっていく。
夏目:環境の変化もある。クリエイティブへの敷居が下がっている。それは基本的にいいこと。
大月:不安がぬぐえない。ゴミも増えるんじゃないか。
ベンヤミンじゃないけど、作品にはアウラがあるかもしれない。ベンヤミンの説では、コピーにアウラは宿らないけど、オタク文化、萌えではコピーにアウラがあるんだよ。それは不思議。
岡田:底辺が広がれば、必然的にピラミッドも高くなるから、心配いらない。
笹峯:なんか、みんなの熱量が下がっている感じが。
富野:そんなことはない。全体の熱量は変わっていない。人口が増えて多くなりすぎた分、1人あたりは薄まっているかもしれない。
だけど、土人出身のクリエイターには能力がない。奴らにはコピーしか作れない。アウラがないんだよ。作る側の吟じみたいなものがない。そんな奴らが多すぎる。クリエイターは公共をもっと意識すべきだ。押井守も、なんであんな風に自分の作りたいようにだけ、作れるんだっ!
岡田:頭の中の理想の女に比べれば、現実の女なんてどうでもいい。
笹峯:男が皆そんなんじゃ日本の将来はどうするんですか?
岡田:世界の問題と自分の問題を重ね合わせて考えてしまうのがセカイ系。
岡田:萌えは別腹。
岡田:萌えの感情の根っこは、対象への同質化願望。

