MicrosoftとGoogleの似たところと違うところ

今年6月にGoogle+がスタートした。そして、8月には世界初のWindows Phone 7.5(mango)搭載端末となったIS12Tが発売された。運良く、この両者をベータの段階から触ることができた。同時期のこの2つを触ってみたことで、いろいろと考えた。

それというのも、アプローチこそ違えどこの2つが提示するUser Experienceがとても似ているように思えるからだ。でも、当然のごとく両者のビジネスモデルは違うわけで、それ故に同じ体験を示しながらもその裏にある価値観がまったく異なっている。

WP7の特徴であるPeopleハブ。これは「アドレス帳」を軸にして、複数のコミュニケーションツールやSNSをすべて束ねてしまうもの。電話、メール、メッセンジャー、SNS、ブログなどなど、複数のツールとサービスに分散したアカウント情報をユーザーの手元の端末の中で名寄せする。

これと同じアプローチはすでに一部のスマートフォンで実装されている。KDDIのjibeやサムソンのSocial hub、そしてAndroidの電話帳。WP7のPeopleハブは、それらの完成形。通話や会話の履歴をサービスを越えて集約し、サービスを意識せずにコミュニケーションできる。

WP7のPeopleハブは、インフラを土管化したサービスの上を端末によってさらにオーバーレイし、ソーシャルサービスを土管化する。人とどのサービスでつながっているかを意識せずに、コミュニケーションすることにだけ集中できる。その意味でWP7は相当ラディカルなOSだ。

そして、G+アプリをインストールしたAndroid端末も、WP7に似ている。そしてG+もそれに近づきずつある。ローカルの自分の画像とネット上のコンタクトの画像をシームレスに見られたり、コンタクトのアクティビティをガンガンとプッシュしてくるところなどはそっくりだ。

さらに、Googleプロフィール上での紐づけ、Gmailの連絡先のマージ機能、そして過激なまでの実名推奨と紐付けてみると、GはWP7が端末上でやろうとしていることを、G+上で行おうとしているのかもしれない。OSという形で端末と結びついた形のWP7と、サービスとアプリで展開するG+。

近いUser Exprerienceを目指しながら、そのコア・コンピタンスと提供するプロダクトは、大きく異なっている。だが、現実として、エンドユーザーが手にするのは、スマートフォンという形のデバイスであり、ユーザーからはMSとGが同列の地平で評価されることになる。そこで、ユーザーは両者の違いをどのように感じるか。その答えはこれからだ。

個人的なイメージだが、GとMSってネガとポジの関係だと思っている。MSはその独占的地位から誤解されがちだけど、それ故に逆に支配者として振る舞うことや、そのように見られることを慎重に避けようとしている。もちろん、これまでさんざん悩まされてきたAntitrust law対策もあるけど、そもそもの哲学としてリベラリズムが貫徹している。

そのMSの立ち位置と照らし合わせると、Gはとても全体主義的に見える。批判的な意図ではなく「あらゆるのデータに人々がアクセスできるようにする」という、GのPrincipal自体が、原理的に全体主義的な思想を帯びたものだし、またそれを実現するためにも必要なアプローチも、必然的にそれを要求してしまうからだ。

かといって、これからGが支配的に振る舞うわけではない。GのPrincpalはデータの集約と整理であって、その独占ではないから。ただ、Gのサービスを利用する上で、ユーザー側が無償の対価として差し出す何か、または引き受けなければならない何か、が今後増えるのかもしれない。