デスクトップOSとクラウドの統合で何が起きるのか

先日、MSで聞いた話では、SkyDriveが震災直後に急激に利用が伸び、アクセス頻度が数倍に膨れあがったそうだ。BCP目的での企業のクラウド移行はあちこちで話題になってるけど、個人のクラウド利用も3月を機に大きく増えているようだ。

で、個人によるクラウド利用について、震災とは別の補助線となるがスマートフォンだ。AndroidでGmailを使えば必然的にクラウドとなるし、iPhoneもiCloudで母艦レスのクラウドベースへと踏み切った。ただ、スマートフォンだと現状ではストレージ容量も限られるるので、必然的にクラウド側に預けるデータ量も限定的だ。もちろん写真をガンガン撮るなら別だけど、それでも数GBのオーダーに止まる。

となると次の個人のクラウド利用がガツンと伸びる波は、Windows 8なのかもしれない。先日のDev Previewでも、インストール時にWindlows Liveアカウントが必須になっていたように、Windows 8では、デスクトップとクラウドがついに統合される。すでにOffice 2010のSP1ではファイルの保存先にクラウドを指定できるようになっていて、特にOnenoteだとローカルとSkyDrive上のファイルがシームレスに扱われるようになっている。

これがWindows上の様々なファイルやデータに拡張されるのは想像に難くない。現にSkydriveはすでに無料のパーソナルクラウド向けでは最大容量に近い25GBを提供している。これだけの大容量を提供するのには、ひとつにはプロモーション効果を狙っているのだろうが、もうひとつはWindows 8でのデスクトップとクラウドの統合を見据えてのものとも言える。

つまりマイクロソフトからの個人向けサービス事業者にむけて「2012年のクラウドサービスは最低限このくらい必要だぜ」とのメッセージともとれる。そしてこのメッセージのもうひとりの受け手がネットワーク事業者だ。最大のシェアを持つクライアントOSの次期バージョンでは、このくらいのトラフィックがエンドとデータセンター間で随時生じるかもしれない。その準備をして欲しい、とのマイクロソフトからのビジョンの提示であり、また警告でもある。

すでにケータイ事業者がスマートフォンの普及によって、そのトラフィックに汲々としている。その一方、固定系の事業者はトラフィックに悩まされつつも、一時期のp2pブームが下火になったことで、ひと山を越した。しかし、ハイパージャイアントの台頭と、そこへのトラフィックをどう裁き、またハイパージャイアントといかに向き合うかという、新たな火種も抱えている。

そこにWindows 8の登場によって、エンドから発生する更なる膨大なトラフィック。そしてエンドユーザーから見ると、デスクトップのパフォーマンスが、クラウドとかデータセンターとかネットワークのパフォーマンスにリンクすることになる。たんに「ウェブが遅せー」では済まなく、ファイルのオープン・クローズや、差分更新のレスポンスと言った、ごく普通にローカルアプリケーションの動作に、ネットワークのパフォーマンスが影響を与える。そして、ユーザーは、よりクラウドとの接続で低レイテンシーを求めてISPを選択するようになるかもしれない。

そうなるとISPは、IXや大手ISPとのピア接続だけではなく、いかにしてハイパージャイアントやデータセンターとのピアリングを行うかがより重要になる。そして、それを行えるだけのリソースやバジェットがないISPは一段と淘汰が進み、地方ISPのOCNリセラー化が更に進むというのはまた別の話し。

閑話休題。ハイパージャイアントは、そのコンテンツパワーを背景にして、莫大なトラフィックを稼ぎ、そして利益も得ている。一方のISPというかアクセス網に近い側のネットワーク事業者は、そのハイパージャイアントが流す膨大なコンテンツと同じトラフィックをさばきながら、その売上げはより少ない。この非対称性が問題となってすでに久しいが、そこに具体的な解決策はまだ見出されていない。

このネットの中立性ゆえに生じるパラドックスは、新たなデスクトップ環境の出現によって、もしかしたら次の段階へと移行するのかもしれない。ネットの中立性は、誰もがアクセスできるコンテンツ、誰もが利用できるサービスという、インターネットのレゾンデートルの基盤でもある。

しかし、パーソナルクラウドによってユーザーがアクセスするのは、あくまでも自分のデータだ。自分で作成し、自分で保存し、自分で読み込むデータだ。場合によってはユーザーは、自分のハードディスクとクラウド上をまったく区別なく使っているかもしれない。そんな状況において、ネットの中立性はどこまで守られるべきなのだろうか。

現時点では、ユーザーの生み出すトラフィックが、少なくともハイパージャイアント側に利益を招き入れる源泉となっている。しかし、より進んだクラウド利用において、そのトラフィックが利益を生み出し続けられるのだろうか。現時点では、マイクロソフトはOSは有償で、クラウドは無償で提供している。すなわち、ユーザーのクラウド利用によるトラフィックが生み出す利益は、すべてマイクロソフトにしか入らない構造だ。

そこでは、アクセス網とサービス事業者というインターネットの中のプレイヤー同士の争いではなく、違うレイヤーからの収奪となる可能性がある。そうなったときアクセス網のプレイヤーが取り得る選択肢は一体何なのだろうか? 従量課金へと移行し、ユーザーのトラフィックを絞るのか。それともユーザー以外から対価を得るのか。どちらも苦しそうな選択肢に思えるが、それ以外の方法はないのだろうか。

MicrosoftとGoogleの似たところと違うところ

今年6月にGoogle+がスタートした。そして、8月には世界初のWindows Phone 7.5(mango)搭載端末となったIS12Tが発売された。運良く、この両者をベータの段階から触ることができた。同時期のこの2つを触ってみたことで、いろいろと考えた。

それというのも、アプローチこそ違えどこの2つが提示するUser Experienceがとても似ているように思えるからだ。でも、当然のごとく両者のビジネスモデルは違うわけで、それ故に同じ体験を示しながらもその裏にある価値観がまったく異なっている。

WP7の特徴であるPeopleハブ。これは「アドレス帳」を軸にして、複数のコミュニケーションツールやSNSをすべて束ねてしまうもの。電話、メール、メッセンジャー、SNS、ブログなどなど、複数のツールとサービスに分散したアカウント情報をユーザーの手元の端末の中で名寄せする。

これと同じアプローチはすでに一部のスマートフォンで実装されている。KDDIのjibeやサムソンのSocial hub、そしてAndroidの電話帳。WP7のPeopleハブは、それらの完成形。通話や会話の履歴をサービスを越えて集約し、サービスを意識せずにコミュニケーションできる。

WP7のPeopleハブは、インフラを土管化したサービスの上を端末によってさらにオーバーレイし、ソーシャルサービスを土管化する。人とどのサービスでつながっているかを意識せずに、コミュニケーションすることにだけ集中できる。その意味でWP7は相当ラディカルなOSだ。

そして、G+アプリをインストールしたAndroid端末も、WP7に似ている。そしてG+もそれに近づきずつある。ローカルの自分の画像とネット上のコンタクトの画像をシームレスに見られたり、コンタクトのアクティビティをガンガンとプッシュしてくるところなどはそっくりだ。

さらに、Googleプロフィール上での紐づけ、Gmailの連絡先のマージ機能、そして過激なまでの実名推奨と紐付けてみると、GはWP7が端末上でやろうとしていることを、G+上で行おうとしているのかもしれない。OSという形で端末と結びついた形のWP7と、サービスとアプリで展開するG+。

近いUser Exprerienceを目指しながら、そのコア・コンピタンスと提供するプロダクトは、大きく異なっている。だが、現実として、エンドユーザーが手にするのは、スマートフォンという形のデバイスであり、ユーザーからはMSとGが同列の地平で評価されることになる。そこで、ユーザーは両者の違いをどのように感じるか。その答えはこれからだ。

個人的なイメージだが、GとMSってネガとポジの関係だと思っている。MSはその独占的地位から誤解されがちだけど、それ故に逆に支配者として振る舞うことや、そのように見られることを慎重に避けようとしている。もちろん、これまでさんざん悩まされてきたAntitrust law対策もあるけど、そもそもの哲学としてリベラリズムが貫徹している。

そのMSの立ち位置と照らし合わせると、Gはとても全体主義的に見える。批判的な意図ではなく「あらゆるのデータに人々がアクセスできるようにする」という、GのPrincipal自体が、原理的に全体主義的な思想を帯びたものだし、またそれを実現するためにも必要なアプローチも、必然的にそれを要求してしまうからだ。

かといって、これからGが支配的に振る舞うわけではない。GのPrincpalはデータの集約と整理であって、その独占ではないから。ただ、Gのサービスを利用する上で、ユーザー側が無償の対価として差し出す何か、または引き受けなければならない何か、が今後増えるのかもしれない。