問題だらけと言われる書籍の流通システムにメリットはないのか?

出版がらみのトラブル話がFacebookで話題になっていた(詳細その1その2)。シェアされていて、トラブルそのものには同情するし、取次システム(含む再販制)に対する批判も同意するところは多いけど、それに関してコメントしている人たちが「物流」を舐めすぎなのが気になった。

ウェブ系の人に多いけど、そういった物流に関することがすっぽりと頭から抜け落ちている人がしばしばいる。日本全国に大量の書籍という商品を流通させる仕組みは、そもそもとてつもなく大変なこと。数百冊の本の在庫は、かなり巨大なシロモノなのだ。書籍の物流倉庫を一度見ると、書籍がどれだけ物理的に大きくてスペースを取る商品だというのが、身にしみてわかる。

また、複数の会社と倉庫を経由することが非効率に見えるけど、それがバッファとして機能している面もあるので、一概に非効率とは言い切れない。倉庫と一口に言っても、機能ごとに役割が分化しており、単純な保管目的の倉庫と流通を前提にした物流倉庫では、建物としての構造も立地も異なってくる。

また、上述のリンク先で出版社がamazonに直接納品するというアイデアが出ているが、実のところそれはamazonにとってもありがた迷惑だ。大量の物流をさばかなければならないところに、想定外の割り込みが発生すれば、そのオーバーヘッドによって全体の効率が落ちる。amazonの倉庫は、徹底的に効率化を進めていることで知られており、そういった想定外のアクションをを嫌うはずだ。取次なりの限られたところから、一定のペースで納品されることを想定して、倉庫機能をくみたてているはずだから、amazonの方が直接納品を嫌がるだろう。

そして何よりも、書籍流通は「流通に乗せると半ば自動的に全国の書店に並ぶ」ところにある。この仕組みの効果は大きい。なぜなら書籍は「書店に並ぶ事によるプロモーション効果と信頼の担保」があるからだ。コンテンツが書籍というパッケージになったうえで、書店に並ぶ。このこと自体に一定の宣伝効果があり、そして内容への信頼度を与えている。さらに、トラブルの当事者がamazonで売れないことを大きな問題として扱っているように、ウェブ書店においても、前述の効果は存在するのだ。

そういったメリットをすべて無視して「旧来の版元、取次、書店のシステムってダメダメ」っていう人が、電書ブームの中でたまに見かけるけど、それはいくらなんでも浅すぎる。そんな人がいること自体、日本の書籍流通システムが、空気や水のように当たり前に感じられるほど完成度が高いことの裏返しでもあるわけど。

自炊ブームの中で、紙という物質に閉じ込められたコンテンツの不自由さばかりが喧伝されがちだけど、物体として日本全国津々浦々にある書店の店頭に並ぶことのプロモーション効果は無視できるものじゃない。

もちろん、そのシステムが疲弊しているところもある。書店の、注文通りに書籍が来ない、大手の書店ばかり優遇される、毎日大量の新刊が来すぎる、といった苦しい声はあちこちで聞く。そして版元からは、刷り部数を自前で決められない、指定の書店や地域に配本してくれない、といった苦情もある。

さらには、再販制度+取次から生まれた版元に対する金融機能によって、中小の版元が売れる見込みもないまま毎月一定数の新刊を第続けなければならなくなっていることなどは、典型的な構造問題だ。そして、それがある故に再販制度が廃止できず、問題がループしてままデッドロックになっている。

今回のトラブルも、そういった巨大な流通構造の中にできた、小さな裂け目にたまたまハマってしまったようなものだろう。それをもってして、現状の書籍流通を批判するのはたやすいけれど、その裂け目を埋めれば問題は解決するというものではない。裂け目は問題のごく一部にすぎず、そして問題は大きすぎて手に負えない。

だから、もしかしたら問題はもう解決することはできず、何かしらのオルタナティブを用意しつつ、このまま問題が問題にならなる程度に書籍流通システム自体が小さくなるまで、なんとか延命するしかないのかもしれない。でも、その前にパニックが起きて、崩壊しそうな気もするけど。

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