■2003-04-12(土)
▼ 週末はいつも通りのお仕事。土曜日は今週も雨降り。ただ気温が高いので、しとしとと降る霧雨がかえって気持ちよい。
今月で閉店する二つのショップにご挨拶。この1〜2年で、だんだんと歯抜けになってきた。寂しい、というよりも、やっぱりという感が強い。
▼ ウェブサーバのアクセスログが爆発しているんで、見てみたらなんだかアタックを喰らった様子。あるPNGファイルが15分間の間に約4500回も読み出されている。どこのどいつだぁ?と思ったら、どうやらMさんじゃないですか。もしかしてブラウザが暴走でもしました?
▼ JR山手線の高田馬場駅での発車メロディが鉄腕アトムのテーマになっていた。
▼ ロイター ナイフ投げ達人がテレビ出演中にミス、助手が軽傷 (ロイター)
やっぱりあるんだ、こういうコト。
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Hotwired ベネトンがRFIDタグの利用を否定
欧米ではプライバシーに関わる企業行動に対しては消費者が敏感に反応し、潰す。Intelのマイクロプロセッサナンバーもその轍を踏んだ。
それより驚いたのはプラダのRFIDの利用が思ったより進んでいたこと。
このプラダ店舗では、客が試着室に持ち込んだ服は自動的に登録され、画像が試着室内のクロゼット脇のタッチスクリーンに映し出される。客はこのスクリーンに、別の商品や合わせたい商品を呼び出すことができる。商品はすべて、あとで客自身が見られるよう、ウェブアカウントに保存される。試着室にはビデオを利用した「マジックミラー」も取り付けられ、自分の後ろ姿や一回転した動きの録画が見られる。
ベネトンでは許されなくてプラダなら許される。一言で言ってしまえば対象とする顧客の違うからなのだけど、もう一つサービスの二面性という視点が浮かんでくる。つまり「サービス」を行なうには必ず「管理」が必要になってくるということ。福祉の現場でRFIDをはじめとする、IT化が促進されていることからもうかがい知れる。
これまでは人がアナログ的に行なってきたサービスが、各種センサーの導入で自動化が可能となる。「人」か「コンピュータ」か、どちらがインターフェイスになるにしろ管理は既にされているのだ。
プライバシー擁護派は、商品を購入した人の居場所の特定や、その人への集中的な販促活動が起きるのではないかと懸念していた。
居場所が特定されることを懸念するのはナンセンス。10mも離れれば検知できないという技術的な点もさておき、そのうち身の回りすべてのものにRFIDがつくようになれば、タグが付いていないものの方が不便だと思うようになるだろう。そして、購入者への集中的な販促活動は、プラダにしろベネトンにしろ良く買ってくれる優良な顧客にはすでに店員が積極的に販促活動を行なっている。そして顧客自身も店員からそういった特権的に扱われることを望んでいる。インターフェイスが、人だろうが機械だろうが提供されるサービスの質が同じならば、よりコストが低い方が選ばれるのは商業活動の必然。ならばプラダよりもベネトンの方がより導入のインセンティブは高いはずだ。
▼ かといって人とコンピュータでは、決定的な違いがあるのも確か。人とコンピュータが同じデータをインプットされたとき、人の場合はそれをアウトプットするにはその人自身の積極的な意志が必要だが、コンピュータの場合は必ずしもそうではない。蓄積されたデータに対して誰がアクセス可能で、そしてデータがいつどこにどれだけ蓄積されているのか、表からはうかがい知れないのだ。
電子化された国土に電子化された国民が暮らすようになれば、人のあらゆる行動データが採取、蓄積されていく。そうなったとき、人や社会に対してどんな影響が現われるのか。サービスが管理と同義ならば、知らずにサービスを受けることは、知らずに管理されるということ。そして管理を生み出すシステム、すなわちアーキテクチャが人の行動をコントロールするということでもある。ここに新しい権力が生まれつつあるのだ。