■2007-02-07(水) [長年日記]
▼ 「墨攻」の小説とマンガと映画の話し
ちょうど公開されたばかりの映画「墨攻」って、酒見賢一の小説ではなく、酒見賢一の小説を原作にした森秀樹のマンガの方が原作としてクレジットされているのを今さら知った。
関係がややこしいけど、「小説(酒見賢一)→マンガ(森秀樹)→映画」ということか。確かに映画にするにはそっちの方がエンターテインメント性が高いもんね。小説の方はどちらかというと説話風なテイストなのに対して、マンガは原作に登場する「墨守」に焦点をあてて、エンターテインメント性の高いものになっている。
マンガも一応小説がベースになっているので、最初のエピソードはほぼ同じ。ただ、小説では結末を迎えるところから、マンガはオリジナルのストーリーに突入して、小説にはこれっぽっちも出てこなかった秦の始皇帝の出生の秘密に関わるサスペンスものとなったと思ったら、そこからさらに物語は転がって、予想外のある意味トンデモな結末を迎える。
そういや、諸星大二郎の『孔子暗黒伝』もそんなような結末だったっけ(こっちは記憶があいまい)。諸星大二郎といえば『墨攻』の原作の酒見賢一の長編小説『陋巷にあり』で挿絵を書いているけど、『陋巷に在り』自体がもともと諸星の『孔子暗黒伝』に登場する孔子の弟子・顔回に触発されて書かれたもの。
ということは、マンガ版『墨攻』の結末が『孔子暗黒伝』と似ているのも、もしかして酒見賢一のアイデアなのかな。そういえば、酒見賢一は『陋巷に在り』が13巻で完結してから、新作がほとんど出ていない。『後宮小説』以来の大ファンなんだけどなぁ。どうしちゃったんだろう?
『墨攻』もそうなんだけど、酒見賢一の作品の多くは歴史上の登場人物から題材をとりながら、独自の解釈でエンターテインメントにしたてあげるものが多い。その“ウソ”の付き方がまた壮大なもので、デビュー作の『後宮小説』自体からして架空の中国王朝の歴史書の体裁をとっているのに「複上死である」という書き出しで人を食っていて、とてもオモシロイ。ただ、デビュー作のインパクトが強すぎたためか「中国の歴史物作家」というイメージが付きまとってしまうになったのは少し残念なところ。『聖母の部隊』や『語り手の事情』みたいな作品もあるんだけどね。
つーわけで、最近の岩明均の歴史物(『ヘウレーカ』『雪の峠・剣の舞』あたり)が好きな人には『墨攻』の小説もマンガも面白く読めると思うのでオススメだ。