B.M.F.Diary

Think and Feel. Future is mine.

■2002-07-02(火) [長年日記]

日記

午前中は池袋で映画。遅ればせながら「少林サッカー」を観る。映画館で声を出して笑ったのは久しぶり。コメディタッチな軽い作風に目を奪われるが、演出のセンスはとんでもなく素晴らしい。オープニングのCGなんかはムチャクチャ格好よかったし。日本のドラマもちっとは見習ってくれい。

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岡田斗司夫

午後からは、ジュンク堂をかるく眺めて高野文子特集の「ユリイカ」などを買ってから、六本木で右の写真のオフ会っつーか座談会に出席。予想外の「ぼく洗2」の話まで聞けて非常に楽しかったが、人数に遠慮して突っ込み切れなかったのが残念。横目で来日中の秋葉いつきたんとそのお父上を眺めながめながら、終わるとそうそうに会場をあとにする。

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てことで、適当なメモ。

開始ギリギリに到着すると、すでに岡田さん以下参加者もほとんど到着しており、一人はじっこのテーブル席に座るハメに。挨拶もそこそこに雑談が始まり、最初は人生相談話、「ほしのこえ」のプロデュース方法について、「妹」論争のこと、などなど。そこから現在作業中の自伝的小説の話しになる。なぜ「小説」であって「自伝」ではないのか、どのように執筆しているかなどといった話しをしているうちに、「ぼくたちの洗脳社会2」の話題に。

「ぼく洗2」は、前作の「洗脳」というキーワードを引き継いで、なぜ人は他人を「洗脳」したがるのか?というメカニズムの説明になるという。岡田さんは、文化、宗教、社会と言った人間の上部構造自体が、生命のように増殖、成長しようとする本能のようなものを持ち、人はそいつらの乗り物に過ぎないという視点を提示していた。こういわれると、当然のようにドーキンスのミーム論が頭に浮かぶので「似ていますね」と聞くと、岡田さんの認識では、ミーム論ではそこまで上部構造に生存本能のようなものは認めていないのでは、と言われた。

ドーキンスのミーム論は人間の生体情報はジーン(遺伝子)という形で物理的に子孫に継承されるが、知識や社会規範など後天的に伝達される情報にも基本要素があるとし、具体的な単位として「ミーム」という名称を与えたもの。情報の遺伝子の様なものであり、「利己的な遺伝子」の視点に立てば、ミームにも自己複製の本能のようなものが存在すると言える。岡田さんは積極的にミーム論との類似は認めていなかったが、スーザン・ブラックモアの『ミーム・マシーンとしての私』あたりとは非常に近い話しではないだろうか。

また、『人生テスト』で行なった、「王様」「軍人」「学者」「職人」の人間の4分類は、立教大学の授業で大規模な調査を行なったら、ほぼきれいに4等分になり、自身でも驚いたという。このことから、これらの4分類が「ぼく洗2」の上部構造と関係あるのではと思い、その関連性について今は考えているそうだ。つまり、岡田さんの中では『人生テスト』『フロン』『30女』などはすべて繋がっているもので、『ぼく洗2』を書くため布石になっているらしい。

岡田さん自身も、コレをそのまま書いたら間違いなく「とんでも」になるから、自分が「と学会員」なのにシャレにならない、と自分でも笑いながら、どうにかしてそれを避けるべく方法を苦心しているという。ミーム論もまだミームの基本単位や、蓄積のメカニズムが不明なことから、仮説に過ぎず、岡田さんの考えと同じような問題が抱えている。どちらかで議論が進めば、それぞれによい影響があるのは確実なので、日本人ならば佐倉統あたりと対談すると面白いことになりそうだ。

残念ながら、人数も多くて一人で時間を取るのも気が引けたので、これ以上は突っ込むことができなかった。『ぼく洗2』の執筆にはあと3年は掛かるということなので、それまでにまたこのような機会があれば、そのときにさらに深いところまで聞いてみたい。

今回は、オタク系の岡田さんのファン、フロン系のファンがバランスよく集まったためか、話題がまんべんなく出た。「全日本妹選手権」のことも、ただのマンガに関する論争ではなく、ジェンダー問題と絡めることでフロンにつながっている。その中で出てきた、女性には「乙女フィルター」が存在し、社会に出ることはそれを摩耗させることになる、という話しはフロンでも現代は女性に大人になることが求められている、という視点と重なる。

このほかにも、岡田さん自身によるフロン的育児の実践や、『モテる技術』『ルールズ』とその他の「ナンパ本」の違い、書く側の人間の心構えなどの話題が出たが、メモを取るのを忘れてしまったので、ここでは割愛する。

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